大正生まれの“キューロク”が、ドラフト音を響かせる
本録音は、1976年3月に日本の蒸気機関車(SL)がその歴史に幕を下ろす直前に、追分機関区に残されていた3台のうちの1台、79602の走行音や作業音を録音したものです。
日本のSLは、1975年12月に旅客と石炭(貨物)運搬が相次いで業務を終了。実質的にはこの12月をもってその歴史に幕を下ろしましたが、室蘭本線追分駅近くにあった追分機関区では、その後も3台のSL(39679、49648、79602)が“セキ”(石炭を積んだ貨車)の入れ替え作業に機関車(動力車)として使われていました。
その入れ替え作業を含む79602のドラフト音(排気音)や走行音、作業音を録音したのが、本作になります。79602は、大正元年に製造が開始された“キューロク”こと国鉄9600形蒸気機関車のひとつで、製造は1923年(大正12年)。大正生まれの“キューロク”が響かせる勇壮なドラフト音を、お楽しみいただけます。
また発車音や走行音、連結音、入区音、汽笛音に加え、セキと79602が交差する際の音、79602がセキを牽引する際の音、セキを入れ替える際の線路の切り替え音も収録(音源によっては構内アナウンスの声もお聞きいただけます)。SL好きにはたまらない、貴重な音の記録です。
録音は、1975年10月と1976年2月に、当時中学三年生だった現・株式会社バード電子代表である斉藤安則氏により、カセットデンスケを使って行われました。追分機関区の許可を得て線路から5mくらいの至近距離で録音したため、臨場感と迫力のあるSLサウンド(もちろんステレオ録音)をお楽しみいただけます。
79602の思い出
追分の最後のSLが去ってから、二ヶ月ほど経ったある日、追分の機関庫が炎に包まれた。燃えさかる炎は容赦なく、そこにあったSLたちを次々と飲み込んでいった。最後の貨物を引いたD51241も、入れ替え作業をしていた79602も、保存先が決まっていた他のSLも、すべてが無残な姿になってしまった。僕の胸の中に静かに残っていたSLへの思いも、その火事と共に消えたように感じた。悔しさを共有できる仲間もなく、僕は黙ってそれを受け入れるしかなかった。そうして、気づけば僕は高校生になっていた。
追分で録音したSLの音は、いつの間にか僕の生活から遠ざかっていった。録音されたカセットテープは、実家の押入れの奥にしまい込まれ、20年以上も光を浴びることはなかった。踏みしめる雪の音、駅構内の業務放送、職員たちの声、そして夕張行きのディーゼル気動車のエンジン音。あの頃、僕は雪に包まれた世界で、一人静かに録音していた。それは僕にとって、最高のロケーションだった。
やがて僕も社会人になり、結婚し、子供も生まれた。大人になった僕は、ある日、ふとそのカセットテープを引っ張り出し、久しぶりに耳を傾けた。懐かしい音が流れ出すと、まるで過去が目の前に広がるような感覚に襲われた。不思議なことに、そのテープを聞いた少し後、僕は偶然にも、79602のナンバープレートと再会することになった。
それは、仕事の合間にふらりと立ち寄った秋葉原の交通博物館でのことだった。ガラスケースの中に、あのナンバープレートが展示されていたのだ。「特別展示 国鉄最後の蒸気機関車 79602のナンバープレート」と書かれたプレートの下で、僕は立ち尽くした。
「なんだ、一緒に上京していたのか」と、僕はつぶやいた。どこか遠いところで、静かに微笑んでいる自分がいる気がした。
斉藤安則