Freedom

B-34

即興音楽誕生の記録

2,500円(税込2,750円)

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2020年7月22日発売予 約特典あり

ソロワークス「アクション・ダイレクト」につながる活動の起源といえる演奏。

<曲目>
  1. Black Picture
  2. Double Precision
  3. Alt Freedom
  4. Alt Freedom
NEW DIRECTION

高柳昌行(el-g,g)
山崎比呂志(ds、perc)

1971年録音

*本作は高柳昌行が録音したオープンリールテープの音源を製音しました。

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 本作は、東京に演奏の場所を失ってしまった高柳昌行が一時的に高崎の<フリーダム>というジャズ喫茶に拠点を移した際の、ドラム・パーカッションの山崎弘(現比呂志)とのデュオ演奏の記録である(1971年4月25日録音)。山崎弘とのデュオ演奏は、高柳の活動としては第五期ニュー・ディレクションに当たる。

***

 高柳昌行といえば、ギターという楽器でもって日本のジャズの世界を切り拓いていった、いわば日本のジャズ発展期の中心人物と言ってもよいだろう。しかし、1960年代終盤から1970年代にかけての、演奏記録だけでなく自ら著した批評文や、あるいは取材に応えた記事などの歯に衣着せぬもの言いを繙くと、実は日本のジャズのものすごい辺境に(しかしもちろんもの凄い存在感をもって)いた人物であるかのような印象も強い。

 その当時の「中心」と「辺境」のどちらが日本のジャズにとってあらまほしき場所であったか、ここでは考察しないし、また高柳がわざわざ「辺境」を目指したわけでもなかろう(ただし高柳のいう「リアル・ジャズ」は、当時としては「辺境」にならざるを得なかったのかもしれないが)。しかし、結果として他からは異端的に扱われるような立場を、高柳は当時の日本のジャズ界にあって、演者としても論者としても、貫いた。

 たとえば『jazz』誌No.5(1970年3月。ジャズ・ピープル社刊)に掲載された座談会「吹き溜りへの葬送曲は俺がかなでる!」(高柳、夫人の高柳道子、間章)には、「インチキ評論家」「いい加減なジャズメン」などの挑発的な言葉を多用して、当時のジャズ界(批評家やファンをも含む)に対して激烈な発言を残している。

 さらに、ジャズ批評家に対しては「俺としては相倉(久人)氏にあそこ(銀巴里)で評論活動をして欲しかったんだ(略)ところが彼はそれを何一つとして出来なかったんだよ」「俺の知っている限りでは彼(相倉久人)はメンバーの紹介と曲目しか言わない司会者でしかなかったんだ」「俺の『インディペンデンス』を批評した油井正一の奴もね。あれは音楽批評じゃねえよ」、またジャズメンに対しては「日野(皓正)やジョージ(大塚)はジャズをやっていないから問題にならない」「山下洋輔のグループにしたって、理屈や先走ったポーズなどで身動きできないほどこちこちになってやっている」などなど、実名を挙げての辛辣な発言を繰り広げていた(本座談会での高柳の言葉を借りれば「憎悪と怨念」を孕んだ発言かもしれない)。そして座談会の最後に、高柳は「俺はだから今やジャズメンとジャズ周辺のかなりの部分と決別する覚悟だし、敵対をはっきりし告発しようと思っている」とまで述べている。

 こうした発言は、俗にムラ社会と呼ばれる日本の中の、さらに狭いジャズ界では、到底快く受け入れられるものではなかろう。むろん、あくまでも1970年前後当時の話であり、名前が挙がった各人と高柳との関係はその後様々に変化はしただろうが(のちの各人の発言の中には、高柳に対する好意的な見解も見られる)、現在よりもなお濃密だったと思われる日本のジャズ界にあって、高柳の発言や態度が人間関係にかなりの影響を及ぼしたであろうことは、想像に難くない。

 実際、そうした発言や態度を貫いた結果、新宿の<ピットイン>や<タロー>など、これまで活動の本拠地であった東京のジャズ喫茶やライブハウスに、高柳の演奏の場所はなくなってしまったのである。

***

 その後高柳は、1970年には渋谷<ステーション'70>や池袋<ジャズベッド>などで、阿部薫とのデュオ、阿部薫・山崎弘とのトリオを中心に活動。しかし阿部薫との関係を解消したのちの1970年の末には<ステーション'70>も<ジャズベッド>も閉店してしまい、東京では他に場所を提供してくれる店もなくなったことから、東京からクルマで往復五時間はかかる高崎の<フリーダム>というジャズ喫茶が唯一の活動場所となった。

 その<フリーダム>で、1971年3月には、共演し始めてまだ七ヶ月めの山崎とのデュオ演奏を開始。これは先述したとおり高柳の活動としては第五期ニュー・ディレクションに当たるが、そのデュオ演奏のうち、1971年4月25日の分を記録したのが本作である。

 本作に付属のライナーノーツに詳しいが、ほぼ同時期に米国などでも、ジャズから発生した新しい音楽の動きが始まっていた。ライナーノーツから一例を挙げればラリー・コリエルやソニー・シャーロックらの新しいギター奏法、デレク・ベイリーやエヴァン・パーカーらのフリー・インプロヴィゼーション、マイルス・デイヴィスのエレクトリック/ファンク化などなど(詳しくは本作をご購入いただき、ご参照いただきたい)。

 そうした動きに呼応するかのように、本作では3ヘッドのテープ・レコーダーとミキサーを駆使したテープ・エコーをギターだけでなく山崎のドラムにも演奏のその場で適用する、当時のライブとしては斬新かつ大胆な音造りも聴かれるし、マス・プロジェクションのアプローチにしてもグラジュアリー・プロジェクションのアプローチにしても、完全即興でありながら演奏者同士が見事に一体化してひとつの音楽世界として完成に近づいた、より高い場所に到達したような演奏が聴かれる。

 高柳と山崎の相性という点もあるのかもしれないが、演奏の場を追われたような状況の中で本作のような凄まじく、かつ完成度が高く、そして世界のジャズ以降の音楽と歩みを同じくするような演奏を繰り広げていたことには、高柳昌行という音楽家の凄みを感じざるを得ない。

 そうした点を念頭に置きつつ本作を繰り返し聴くと、後年に繰り広げられるアクション・ダイレクトなどの演奏の聴き方や、その活動への理解もまた変わってくるはずだ。高柳の活動史の中での、これまで表に現れてこなかった重要な一点の記録であると同時に、日本の、そして世界のジャズの文脈の中に当時投げられた一石として、本作に遺された演奏にぜひ耳を傾けてみていただきたい。  (2020年6月 青木修)

只今、ご予約注文の方には特典CDをさしあげます。
No. JDR-0012
Title 910415-4

action direct 1991/4/15 安田生命ホール

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